衆議院議員 守島正

プロフィール

守島正(衆議院議員/衆議院大阪第2選挙区(阿倍野・生野・東住吉・平野区)支部長)

生年月日:1981年7月15日

出身:大阪市東淀川区

血液型:O型

好きな言葉:知行合一(ちこうごういつ)

家族:妻(大学の同級生)、長男(8歳)、次男(0歳)

学歴:大阪市立 大桐中学校 卒 ・ 大阪工業大学高校(現:常翔学園高)卒
同志社大学 商学部 卒 ・ 大阪市立大学大学院 創造都市研究科 修了

■こども時代

S56.7.15 大阪市東淀川区に生まれる。
3歳と2歳年上の姉をもつ末っ子長男として、比較的自由に明るく元気に育ててもらった。
生家のガレージが父が営む金属部品加工の町工場であり、かつその工場が遊び場でもあったので、従業員さんにも沢山可愛がってもらった。

近くの私立幼稚園に通っていたが、5・6歳の時に小児結核にかかり、小さいながら長く一人で入院生活をしていたため、夜眠れずに何度もナースコールを呼んで迷惑をかけたことは今でもよく覚えており、大人になってからも寝入るのが不得意というのは、この影響のせいかと思ったり思わなかったり💦

■ 小学校・ 中学校・高校時代

小学校は地元の公立小学校に通うが、家業が景気に左右されることもあって、近隣で数多く引っ越しをすることになった。結果として、小学校は2回の転校により3つの学校(豊里小・大道南小・大桐小)に通うことになり生活環境は都度変化したが、こうした経験から人と距離を持たず、友達を作ることが得意になったと思う。

中学は地元の大桐中学校に入学。小学校時の転校のおかげで、入学時点で全員が知り合いというアドバンテージを得ることになり、その影響もあって同級生の多くと仲が良いという理由で、担任の先生に頼まれ生徒会をすることになり3年生の時は生徒会長を担う。 部活はバスケットボール部で生徒会と両立した。

高校進学の際は、内申点が低いこともあり💦公立は早々に諦め、自宅に近く自転車で通える私学という理由で、大阪工業大学高等学校 普通科を受験し入学。
1・2年生は然して勉強もせず部活にも入らず、友人とバンドを組んで学園祭に出たりライブハウスに出演したりするなどして高校生活を楽しんでいたが、3年生になるタイミングで、将来のビジョンを見つめなおし一念発起。
1年間 大学受験に向けた勉強に励み、当時の大阪工大高校では初めてとなる 現役で関関同立すべて計8学部 合格という結果をだし、その中から 田舎の学校に通えば、遊びの誘惑も少なく勉強するだろうという安易な考えで、京都府京田辺市にキャンパスのある同志社大学 商学部に進学する。

■大学時代

田舎のキャンパスだと真面目に勉強するという想定とは裏腹に、友人たちにも恵まれ大学生らしい賑やかなキャンパスライフを過ごす。1回生で友人たちと、バスケットボールやサッカーといった種目ごとに事業部的な組織をつくり、それを総合したスポーツサークルを立ち上げ、初代会長を務める。さまざまな苦労や楽しみがあったが今でもサークルを共に作ったメンバーが親友となっている。 

3回生からは、キャンパスが京都市内の今出川にかわり、より誘惑の多い環境に流されてしまったが、ゼミ(西田芳次郎研究室)ではゼミを仕切る幹事長となり、ゼミの運営や卒業論文作成などにも励んだ。

その後、ロスジェネ末期の氷河期における就職活動の中で、ものづくりにより付加価値を生む製造業へ憧れをもち、新日本製鐵(現・日本製鉄)株式会社へ入社することになる。

大学時代の写真は、ロクな写真が見当たらなかったので、ここでは割愛するw

■社会人時代

H16年 新日本製鉄株式会社に入社。千葉県などでの研修を経て、愛知県の名古屋製鉄所の生産管理部に配属される。当初は造船や橋梁向けの厚板の工程管理、3年目以降は自動車や家電向けの薄板の工程管理をおこない、鉄を作る製鋼工場のスケジュール等を作っていた。 当時の会社は、超ブラックで、会社員時代に2連休を取った記憶がなく、月の残業は200時間を超えることもあったほど(ほぼ残業代はつかなかった💦)

H19年 会社への愛着はありつつも、大企業すぎて、業務範囲が狭く知識が偏ることもあり、幅広い知識や経営に携わることをもとめて退社する。その後、アルバイトや家業の町工場(共和精機株式会社)を手伝いながら、幅広い企業経営に関する知識を体系的に得るために国家資格である中小企業診断士取得のために夜間学校(TAC)に通い、1年で中小企業診断士に合格。

そのころ、リーマンショックの荒波により、家業の売り上げが激減していたため町工場再建のために奔走したり、職業能力開発促進センター で講師を務めたりり、製造業勤務や診断士取得を活かした活動を行う。

■政治の世界へ~ 大阪市議選への挑戦

H22 会社再建の最中、地元東淀川区選出の大阪市議から「自分は高齢のため引退するので翌年の市議選挙への立候補しないか」と打診される。最初は政治なんかが担うには恐れ多い世界だと考え遠慮していたが、このことをきっかけとして大阪市の行財政等を調べると、かなり杜撰な行政運営がなされていると感じた。そして、今の政治家に任せるよりも政治素人の自分の方がこれまでの経験を活かし、しがらみのない改革をできるという考えに至り、政治への道を志すことを決める。

このタイミングがちょうど 大阪維新の会の立ち上げ直前の 橋下府政下であり、大阪府によるWTC買収や水道統合をめぐった平松市政との衝突時期ということもあって、抜本的に大阪を変えるべく行動する橋下知事に傾倒していく。

そして大阪維新の会 立ち上げ後の最初の選挙 2010年5月の福島区における大阪市議補選に大阪維新の会のボランティアとして参加 → 同年8月の生野区大阪市議補選においては角谷庄一候補(現府議)の選挙事務を担うなど、維新の会にどっぷりコミットするようになり、その後、大阪維新の会 東淀川区市政対策委員を拝命、翌2011年4月の統一地方選挙において市議選に出馬し、初当選を果たす。

■地方議会 そして国政へ

2011年4月 大阪市議に当選以降は地道に市政改革に邁進することで、市議団や議会での要職を歴任していくとともに、大阪都構想の制度設計を行う法定協議会の委員なども務めた。 その後、市議団の政調会長などを経て、2019.6月に吉村洋文(当時・大阪市長)の後任として大阪維新の会 政調会長を拝命する。

この間 2015年に大学時代の同級生である妻と結婚・大阪市立大学の社会人大学院を修了するなど、公私ともに充実し忙しい時期を過ごす。

こうした中、2019年 3期目の大阪市議選に当選後、全国で初めてのオンライン議会を提案し実現させていく過程で、国による規制の壁にぶつったことで国政改革の必要性を強く実感し、国政挑戦を視野に入れ、選出されていた東淀川区ではなく、日本維新の会が未だ小選挙区で勝利したことのない衆議院大阪2区(阿倍野・生野・東住吉・平野区)の支部長公募に応募→ 2020年 大阪2区の支部長に就任し、生活拠点も阿倍野区に移す。

そして、 
2021年10月 衆議院総選挙にて、初当選(得票数120,913票)

現在、当選1期目ながら、すべての国会において各委員会の理事(会派代表)をつとめるとともに、数多くの議員立法などを手掛けるなど、日々邁進中。

主な役職

日本維新の会 国会議員団 政調副会長

衆議院所属委員会

経済産業委員会(理事)
予算委員会

衆議院議員 守島正事務所

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